金相場の過去の歴史
1980-90年代の20年間は金にとっては「失われた20年」と言えるかもしれない。当時はそれまで続いていた共産主義対資本主義という世界の緊張情勢が、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊するという共産主義圏の消滅という劇的な動きがあり、一挙に世界は第三次世界大戦の恐怖から遠のいたのであった。また中央銀行の外貨準備運用担当官は戦争を知らない世代に変わり、金を外貨のひとつとしてその運用効率だけを考えるようになった。この期間の米ドルを始めとする各主要通貨の金利はおそらく3-7%くらいはあった。一方ゴールドの金利(リースレートと呼ばれる)はせいぜい0.5%くらいとパフォーマンスはよくなかった。その上に右肩下がりの相場が続いており、金を保有することによるキャピタル・ゲインも望むべくもなかった。世界の中央銀行の金離れ、つまり金売却がすすんだのである。
そしてこの期間、もうひとつの相場低落の原因は金鉱山会社のヘッジ売りである。鶏と卵の議論になるが、相場の低落傾向のため、鉱山会社は何年も先の生産まで売りヘッジを急ぎ、その売りがまた相場の低落を招くという悪循環がこの20年間基本的に続いていたのである。
この金低迷基調の変化のきっかけは1999年後半。それまで過去20年以上金相場で大きな売り手として存在していた欧州各国の中央銀行が、年間売却数量を絞る(当初は年間400トン、その後500トンで5年で延長見直し)合意を結んだのである。これは「ワシントン合意」、その後「中央銀行金合意(Central Bank Gold Agreement:CBGA)」と呼ばれて現在まで続いている。そしてこの合意の中に金の貸し出し数量も絞るという項目があった。
中央銀行と並んで、80年代、90年代に積極的に金を売っていたのは鉱山会社のヘッジ売りであった。鉱山会社は単純にいうと金を生産する前に先に金を借りてきて売却し、その資金で鉱山を掘り、精錬して、金地金が完成した時点でそれを貸し主に返すといういわゆるゴールドローンという手法を使って、下落傾向にある金価格のヘッジを行っていたのである。ゴールドローンの究極的な金の貸し手が中央銀行であった。中央銀行が金の貸し出しを制限したことによって、金を借りることによって、金の売りヘッジを行っていた鉱山会社にとっては売りにくい状態になり、中央銀行、鉱山会社の二大売り手がともに売りを控える状態になったのである。2001年9月11日にはニューヨークで同時多発テロが発生し、旧共産圏の崩壊以来もはや過去のものと考えられていた「地政学リスク」が「テロの脅威」として再び息を吹き返すことになり、これもまた金にとっては追い風となり、金の上昇相場への環境が整えられていったのであった。
2001からの上昇相場のスピードはまさに加速度的と言ってよかった。80年代90年代の20年間のベアマーケットの中にいたもので、このような上げを予想していた人間はほとんど皆無であったと言っていいだろう。もちろん筆者も含めて。この加速度的上げの実際面での最大の要因は二つあった。一つにはそれまで最大の金の売り手であった鉱山会社が、一転して買いに回ったこと。金価格の上昇にもかかわらず、ヘッジ売りを行っていたために、株価が上昇しないことに対する株主からの圧力が強まり、いわゆる「ヘッジの買戻し」つまり、金のロングのリスクを積極的にとっていく方向へと方針を大転換、多くの鉱山会社が金売りを転じて、金買いに動いた。売り手が買い手にまわることによって、相場へのインパクトは倍増し、それが2001年から始まるこの急上昇を生み出した最大の原動力となったのだ。まさに上がれば上がるほど買戻しが増え、買いが買いを呼んだ。その以前20年間にたまった先売りポジションはそれだけ巨大だったのだ。
そしてこの上昇局面の業火に油をそそいだ役割を果たしたのがゴールドETFという新たな金融商品の登場である。ETFとはExchange Traded Fundつまり上場投資信託であり、取引所に上場された投資信託のことである。2004年に上場されたゴールドETFはまたたくまにその残高を増やし、現在ではその類似商品を合わせるとその合計は2000トンに達する。この商品の目玉はまさに現物に裏打ちされていること、つまり、ゴールドETFが買われるとその分、金の現物をマーケットで手当てし、それを倉庫に保管するのである。
2010年6月末現在、2000トンもの金現物が市場から買われ、どこかの倉庫に保管されている、つまり眠っているのである。2000トンといえば世界の中央銀行に入れても5番目に多い金の持ち高になり、中国とスイスの保有金を足した量になるのである。これだけの量の金がわずか6年程度で市場で買われて倉庫にしまわれたことで相場には多大な影響を与えたのだった。この画期的な商品を考えだしたのは前ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)のCEOであったジェームス・バートン氏である。彼はWGC以前はかの物を言う株主として有名なカルパース(カリフォルニア州職員退職年金基金)のCEOであり、まさに年金の視点からいかにして金を彼らの投資対象にするか、という観点からこの商品を考えたのであった。